2010年01月30日

病は気から

会社の健康診断が1月26日にあった。
今回は受診しなかった。
受診すれば必ず中性脂肪と心臓を言われる。
中性脂肪の自己記録(?)は1680程度。
診療所の記録のようだった。
心臓は「心房ブロック」。

くも膜下出血で倒れた時も健康診断は受けていた。
倒れるときは倒れる。

最近良く「笑うと癌が良くなる」と聞く。
気にしないことが一番である。

ひどかった腰痛もいつの間にか良くなった。
  


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2010年01月27日

飲み会

昨日は久しぶりの飲み会。
第1次が会社同期6人。これが17時から118時20分。
次が同じ大学の後輩4人との飲み会。18時30分より20時30分。
時間も早いので一人で「へそ」へ。
座ろうとした時向かい側の席から「鈴木」。
会社同期の徳田がいた。
ぐじゃぐじゃ話をして終わったのが22時30分。
そこから大阪駅に出て南草津着が24時。
何と駅で家内が待っていてくれた。
小生は、今日も変わらずなっば服にジーバン。
早くスーツを捨てる日が来ないか改めて確認。



  


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2010年01月24日

水野氏来訪

今日は再開発の床を買ってくれた水野さんが来た。
大きな舞茸と自作の沢庵が土産だ。
水野氏も沼津の出身で奥さんとは小学校から高校まで同級生。
同じ「しぞーか」同志、ちょっと気が合う。

お礼に昨年作った干し柿をあげ、作りたてのおでんでお茶にした。
彦根の川で、訓義・ター坊とすっぽんをつかまいて料理して食った話でしばし盛り上がった。

水野氏はいろんなことが好きで、早春には一番堀りの筍をゆがいて持ってきてくれる。
昨年の暮れには比叡山のそばをもってきてくれた。

今日は珍しく、いつも興味を持たない妻も隣でブログの投稿手順を見ている。
「あんたもやり。」といっても「面倒くさい。」でいつも終わる。  


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2010年01月23日

味噌おでん

今朝は朝からおでん作り。
昨日買って来たすじ肉をゆがき、ごぼてんなどと煮始める。
平行して卵6個をうでる。
ジャガイモは大きいものを十数個、圧力鍋でゆがく。
そうするとアルファ化して煮崩れなくなる。
肉味噌は玉葱の微塵を炒めた後、合い挽きミンチを入れ
おでんのつゆ、砂糖、味醂で煮詰める。
残念なのはこちらでは豚の腸が手に入らない。
以前は帰るとヤクモで大量に買って帰ったがヤクモもなくなった。

前に、「いせちゃん」のおでんのことを書いたが、
蓬莱橋のたもとの増田(同級生)のおばあさんがリヤカーで売って
いたおでんも美味しかった。
味噌だれにだしこ、全国共通ではない。
だしこのちょっと苦いのが良い。

柔道の松本は増田の家の向かいで豆腐やだった。

  


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2010年01月22日

思い出

トンボさんの続きみたいですが。

7丁目の鯛焼きは話題としては最高。
随分話が続いた。

6丁目にも同級生が一杯。
木村の英ちゃん、すし屋の南、飲み屋の千秋、米屋の茂三、内藤外さん。
みんな還暦。

龍月の新製品(何でしたっけ)も買わなくては。

陸上を始めたのは兄の影響。
昔、島田の市民大会のマラソンで優勝する兄をみて始めた。
兄は駿府城マラソンの第1回の優勝者。
焼津の港マラソンも第1回の優勝者。
  


Posted by 鮎摑み名人 at 20:52Comments(1)

2010年01月17日

記憶5

昨日の昼、関西テレビで捜査刑事4を見た。
船越主演の番組だ。
ストーリーは殺人事件の犯人と思しき人物が寸又峡の出身で
寸又峡に逃げ帰っているのを船越が追っかけてきたということだ。
しかし、映った橋は「蓬莱橋」。
知らない人は本当にそう思ってしまうかもしれない。

島田事件の犯人赤堀ももこの橋を渡って行った。
目撃した橋番は増水した橋を見に行って流されて死んだ。
祇園の人だったと思う。

近所の秀ちゃんと置き針に往くときもこの橋を渡った。
一晩に100本近くかけて夜中に2回程度視て廻る。
「めめず」を餌にするとうぐいとかカジカに食われてしまうので
必ず「どじょう」にした。
多い日には30本近く釣れた。
こちらは高砂のうなぎやに持って行った。




  


Posted by 鮎摑み名人 at 02:18Comments(1)

2010年01月16日

記憶4

今朝の新日本紀行「ふたたび」。
昭和40年代の瀬戸をやっていた。
陶芸家「加藤う助」の生前の映像が残っていた。
昭和49年に結婚した際、仲人のお礼に、う助の壷を贈った。
何故か信楽の店にあった。
店の主人は、「う助」は偽物作りの名人だといっていた。
しかし、新日本紀行の話では、古陶の再現を目指していたらしい。
最近も、う助の壷を買ったが全く作行きがちがう。
今は、う助窯として残っているらしい。
当然、古陶を目指したものとは全くちがう。
今は薪窯でなく、プロパン窯。
昔のもののよさが無い。
  


Posted by 鮎摑み名人 at 05:49Comments(0)

2010年01月14日

記憶3

懐かしい人に電話した。
去年お父さんが亡くなり、今年は賀状の交換ができない。
介護の疲れで首の調子が悪く、整体で首をつっているとのこと。
この年齢になるといろんなところにがたが来る。
それでも騙し騙しやってゆくしかない。
最後に、「もう暫く頑張ろう。」といって電話を切った。
前回の大祭り以降会っていない。

先生から電話が入った。
年末のお酒のお礼だった。
80歳。声は元気一杯だった。  


Posted by 鮎摑み名人 at 21:07Comments(0)

2010年01月10日

記憶-2

今朝、NHKの番組で埼玉県行田市で本もろこの養殖をしている人が出ていた。
販路を求めて京都の店主等に接触している様子が続いた。

今住んでいる草津市も、地元に名物をということで本もろこの養殖を推進している。
それと、染色に使う「あおばな」である。

島田でも小さな小川で「せっしょう」すると良く入ったものだ。
ちなみに現在の価格は500グラム500円。

  


Posted by 鮎摑み名人 at 08:13Comments(0)

2010年01月08日

記憶

有線放送で「さぎっちょう」の連絡をしている。

島田で言えば「どんど焼き」である。
小学生の頃、近所を廻り、注連縄などを集めてきた。
集めに行くと大抵少し小遣いをくれる。
近所の空き地で燃やす。
橙をくべて焦げたやつを口にすると病気封じに効くなんて言っていた。

「恵比寿講」は今でもやっているのだろうか。
彦根では恵比寿講の大売出しをしていた。
もう40年ほど経つので今はやっていないかもしれない。
11月の後半だったと思うが日にちは思い出せない。
  


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