2010年03月29日
亀山先生
3月27日から4日間の帰省。
目的は兄嫁の3回忌。
27日
朝8時の鈍行に乗り島田へ。
島田着は12時30分ごろ。
早速たい焼き屋でお頭付き3匹をゲット。
齧りながら実家に向かう。
やはり鯛焼きは焼き立てである。
28日
目が醒めると3時。
テレビの前には兄が寝ていて見るわけにいかない。
仕方なく、古い新聞を読み、ワンセグで前日の相撲をみる。
4時20分ごろに新聞配達が配達にくる。
新聞を読んで再び床に入り少しだけ寝る。
次に起きると未だ5時半。
朝の新聞に書いてあった慶壽寺の桜を見に向かう。
時間は5時40分。
寺に着いたのが6時。
写真を撮っている一人にもう一人先客がいる。
帰りは薔薇の丘公園から、「うざざぁ」をながめ、二中の横を通って帰る。
風呂に入り、久しぶりの髭剃り。
10時からの法事に向かう。
法事を終え、焼津グランドホテルのうえのなんとかというところで精進落としの膳を囲む。
終わって、帰ろうと外に出るとあられで真っ白。
帰りの車は兄二人に姉二人と小生他で七人。
藤枝で姉夫婦を降ろし、土産の茶を買いにバイパスで東光寺のカネ松へ。
ところが日曜日で休み。
29日
朝一番に蓬莱橋へ。
蓬莱橋から戻り、兄の娘の車で前日買いそびれたお茶を買いにカネ松へ。無事購入。
続いて、焼津の福一、魚センターと廻り魚の買出し。
若干の刺身と黒はんぺん、冷凍の頭肉を買い、豊田へ。
兄の別邸で夏みかんと金柑を収穫。
長兄の畑には甘夏があるというのでそちらに廻る。
そこにはすぐ上の姉の旦那が来ていて皆ではんぺんをほおばる。
そこで収穫した甘夏を持って茶町の姉のところに差し入れ。
戻って中溝のTENOーHIRAを覗きに。
夕方6時に横山ター坊が迎えに来るというので時間つぶしのパチンコへ。
茶葉「ちゃっぱ」代ほどの勝利。
ター坊に迷惑をかけたくなんいので、買って来た刺身で夕飯をとる。
予定通り、6時過ぎにター坊が迎えに来てくれる。
ター坊の家では「おつーさん」「旧姓兼橋通子」さんが食事を用意してくれていたが辞退。
3年1組の同窓会の話と小亀先生の話を聞く。
3年1組の同窓会は焼津に1泊どまりで参加者は15人。
参加者名簿を見せてもらい、続いて先生のことを聞く。
参加者には柳沢明のなまえもあった。小沢明は名古屋に移って仕事をしているとのこと。
先生は今年75歳。
1月に、脳梗塞で通産3回目の入院をし、半身付随で認知症も進みクラス会には参加できなかったとのこと。
小生も2年生のときに担任だったのでお見舞いにと思ったが「いかんほうがええよ」と言われた。
3年1組のクラス会は毎年行うとのこと。
それが正解かもしれない。
目的は兄嫁の3回忌。
27日
朝8時の鈍行に乗り島田へ。
島田着は12時30分ごろ。
早速たい焼き屋でお頭付き3匹をゲット。
齧りながら実家に向かう。
やはり鯛焼きは焼き立てである。
28日
目が醒めると3時。
テレビの前には兄が寝ていて見るわけにいかない。
仕方なく、古い新聞を読み、ワンセグで前日の相撲をみる。
4時20分ごろに新聞配達が配達にくる。
新聞を読んで再び床に入り少しだけ寝る。
次に起きると未だ5時半。
朝の新聞に書いてあった慶壽寺の桜を見に向かう。
時間は5時40分。
寺に着いたのが6時。
写真を撮っている一人にもう一人先客がいる。
帰りは薔薇の丘公園から、「うざざぁ」をながめ、二中の横を通って帰る。
風呂に入り、久しぶりの髭剃り。
10時からの法事に向かう。
法事を終え、焼津グランドホテルのうえのなんとかというところで精進落としの膳を囲む。
終わって、帰ろうと外に出るとあられで真っ白。
帰りの車は兄二人に姉二人と小生他で七人。
藤枝で姉夫婦を降ろし、土産の茶を買いにバイパスで東光寺のカネ松へ。
ところが日曜日で休み。
29日
朝一番に蓬莱橋へ。
蓬莱橋から戻り、兄の娘の車で前日買いそびれたお茶を買いにカネ松へ。無事購入。
続いて、焼津の福一、魚センターと廻り魚の買出し。
若干の刺身と黒はんぺん、冷凍の頭肉を買い、豊田へ。
兄の別邸で夏みかんと金柑を収穫。
長兄の畑には甘夏があるというのでそちらに廻る。
そこにはすぐ上の姉の旦那が来ていて皆ではんぺんをほおばる。
そこで収穫した甘夏を持って茶町の姉のところに差し入れ。
戻って中溝のTENOーHIRAを覗きに。
夕方6時に横山ター坊が迎えに来るというので時間つぶしのパチンコへ。
茶葉「ちゃっぱ」代ほどの勝利。
ター坊に迷惑をかけたくなんいので、買って来た刺身で夕飯をとる。
予定通り、6時過ぎにター坊が迎えに来てくれる。
ター坊の家では「おつーさん」「旧姓兼橋通子」さんが食事を用意してくれていたが辞退。
3年1組の同窓会の話と小亀先生の話を聞く。
3年1組の同窓会は焼津に1泊どまりで参加者は15人。
参加者名簿を見せてもらい、続いて先生のことを聞く。
参加者には柳沢明のなまえもあった。小沢明は名古屋に移って仕事をしているとのこと。
先生は今年75歳。
1月に、脳梗塞で通産3回目の入院をし、半身付随で認知症も進みクラス会には参加できなかったとのこと。
小生も2年生のときに担任だったのでお見舞いにと思ったが「いかんほうがええよ」と言われた。
3年1組のクラス会は毎年行うとのこと。
それが正解かもしれない。
Posted by 鮎摑み名人 at 16:39│Comments(0)