2021年10月08日
10月7日(木)
5時半から8時まで8丁目の草引、家に帰って朝飯を食べ
8時半から垣根隊の作業、担当は5丁目の武藤さん宅。
武藤さんとは何か縁が深い。
最初は草引き、市民センター(現在の志津南まちづくりセンター)の目地の土垢を取っていたころ
武藤さんはボランティアの花グループで毎朝植木の水遣りに来ていた。
80歳を過ぎて老人会に入って来られ、麻雀、グランドゴルフ、カラオケと良く遊ばしていただいた。
癌でなくなるまで家族にも一切話さず、家の花々の片づけをしていたとのことだった。
家は甲西町下田の八田焼「かわらけ」を宮内庁に納めていたとのことだった。
まぁ打診したが駄目だったとのこと。
歌は下手だったが面白かった、歌うのは「おゆき」、「異国の丘」、「ああ上野駅」
会社は彦根の近江絹糸、女工さんを迎えに上野まで行っていたという。
無くなったのが12月31日、小生の母と同じ日だった。
翌年の1月5日が葬式だったが、老人会の新年会で行けず通夜に行った。
後ろの方から「鈴木さん」という声があり振り向くと大林組の同僚だった。
彼とは西友後のそばにエース証券を呼ぶときに設計を担当してもらった。
10時からは天井窯の窯出し。焼き具合はまずまず。
ウォークは20時半から22時20分。
7563歩・4.5キロ。
8時半から垣根隊の作業、担当は5丁目の武藤さん宅。
武藤さんとは何か縁が深い。
最初は草引き、市民センター(現在の志津南まちづくりセンター)の目地の土垢を取っていたころ
武藤さんはボランティアの花グループで毎朝植木の水遣りに来ていた。
80歳を過ぎて老人会に入って来られ、麻雀、グランドゴルフ、カラオケと良く遊ばしていただいた。
癌でなくなるまで家族にも一切話さず、家の花々の片づけをしていたとのことだった。
家は甲西町下田の八田焼「かわらけ」を宮内庁に納めていたとのことだった。
まぁ打診したが駄目だったとのこと。
歌は下手だったが面白かった、歌うのは「おゆき」、「異国の丘」、「ああ上野駅」
会社は彦根の近江絹糸、女工さんを迎えに上野まで行っていたという。
無くなったのが12月31日、小生の母と同じ日だった。
翌年の1月5日が葬式だったが、老人会の新年会で行けず通夜に行った。
後ろの方から「鈴木さん」という声があり振り向くと大林組の同僚だった。
彼とは西友後のそばにエース証券を呼ぶときに設計を担当してもらった。
10時からは天井窯の窯出し。焼き具合はまずまず。
ウォークは20時半から22時20分。
7563歩・4.5キロ。
Posted by 鮎摑み名人 at
19:13
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